藤子不二雄A先生

お久しぶりです、田丸はるかです。


今週はコロナワクチン3回目を接種し、2日間うめいておりました。


ともあれ、3日目には嘘のように元気になったので、また元の日常を送れそうで安心しました。





さて、漫画家を志す者として、さらに同郷の立場としてとても残念なのですが、


先日藤子不二雄A先生の訃報がありました。


藤子不二雄先生といえば、ドラえもん怪物くん(ビデオで親が借りてきてくれていた)は物心つく前から、楽しく観ていましたが、


初めてドラえもんの単行本を手にした小学生の頃は、藤子不二雄先生のことを、男女コンビだという微笑ましい勘違いをしていました。(これ意外と多いかも)


藤子・F・不二雄先生(以下F先生)と藤子不二雄A先生(以下A先生)は別の人だという認識を深めていったのは、高校生の時に再放送されていた「まんが道」のドラマと、「藤子不二雄」の伝記の存在が大きかったです。


お二人の出会いから、仕事を辞め上京しトキワ荘で漫画仲間と切磋琢磨しあう毎日の苦労や青春は、どんなフィクション小説よりもワクワクしました。


劇中にはないのですが、私はお二人に関する一番好きなエピソードがあります。


それは、穏やかそうだけど、漫画に対してはとても熱い信念があるF先生が、編集者とぶつかり合いそうになったとき、


A先生が真ん中に入って編集さんに気をつかい、編集部を出たら次はF先生に気をつかい、「映画でもみにいこうよ」と言っていた、というものです。


どちらも穏やかな人柄だと思っていたので、意外に感じたと同時に、まさに二人は名コンビだったのだなぁと納得したこぼれ話でした。


肝心の漫画ですが、私はどちらかというとA先生の作品の方が馴染み深いです。


怪物くんやハットリくんはすでに漫画が家にありましたし、笑うせぇるすまんは大人になってから購入するほど好きでした。


F先生はSFや空想が大好きで、しかもそれを具現化できる天才肌の作家だと言われていますが、


A先生は日々の出来事にエッヂを効かせたものを作品化できる、アイディアマンだというのが私個人の見解です。


改めて、あんなにお元気で健康第一だった先生が88歳でお亡くなりになられたことは、とても残念に思います。


漫画家デビューして絶対に会いたかった先生でした。


天国にもトキワ荘があって、F先生や石森先生や赤塚先生が缶詰(部屋にこもって漫画を描くこと)になって沢山漫画を描いていて、


やっときてくれたA先生に助けを求めている光景は、今年一番エモいですね。


藤子不二雄A先生、素敵な作品を世に残してくださり、また先生の優しいお人柄で数々の人を幸せな気持ちにしてくださり、ありがとうございました。


安らかにお眠りください・・・。


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補足:富山県の氷見市というところには「忍者ハットリくん列車」という乗り物があります。


私は高2の時、一度だけ乗ったことがあり、内装もハットリくんデザインで感嘆しました。


今は変わっているのかもしれませんが、当時は「ムササビの術」を使うハットリくん一同が描かれていて、イラストにもあるように獅子丸が己の皮膚を用いて術を使う様子が可愛らしくてずっと焼き付いています。